ケネス・J・ガーゲンの「関係からはじまる ー社会構成主義がひらく人間観ー」を読みました。
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今までの堅苦しいタイトルではなく、社会構成主義ド直球のタイトルです。
といっても、「社会構成主義」という言葉は出てきません。
「関係」に徹底的に拘って書かれています。
「宗教」や「組織(学習)」についてもふれられていて興味深かったです。
社会構成主義が級目を浴びるようになって、今までは客観主義的な研修がほとんどでしたが、最近は社会構成主義が前提にある研修が多くなってきていると思います。
相変わらず丁寧に書かれているのですが、相変わらず難解です。
「人生の本質は対話である。生きることは、対話に参加することである。問うこと、心に留めること、応答すること、賛同すること。この対話に、人はその生の全体を通して、全面的に参加する。目で、口で、魂で、精神で、またその行為全体で。人は、言説の中に自分のすべてを招き入れる。この言説が、人生という対話的な織物の中に、そして世界との討論の場に入り込んでいくのである。」(ミハイル・バフチン)
「社会の中で生きることができない者、あるいは、自分に十分な能力があるからといって他者を必要としない者は、獸か神に違いない。」(アリストテレス)
「人間社会では、つねに意見や関心の違いが生じる。しかし、私たちはみな互いに依存し合っており、この小さな惑星で共存しなければならないというのが、今日の私たちにとっての現実である。だからこそ、個人同士であれ、国家間であれ、利害の違いや衝突を解決する賢明で知的な唯一の方法は、対話を行うことなのである。」(ダライ・ラマ)
「私の言語の限界は。私の世界の限界を意味する。」(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)
「その「内側」が「私」で、「外側」が環境ないし他者だと言えるような、線か袋のようなものがあるのだろうか。何の権利があって私たちはこんな区別をしているのだろうか。」(グレゴリー・ベイトソン)
「関係性」探求の旅は続きますね。