ピーター・F・ドラッカーの「マネジメント」を孔子の「論語」をサブテキストとして用いながら、読み解いています。
「マネジメント」は「マネジメント【エッセンシャル版】」や「もし高校野球のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(もしドラ)ではなく、上中下巻に分かれてる「マネジメント」です。
「マネジメント」上中下巻と「マネジメント【エッセンシャル版】」の翻訳が違っていること、どちらとも翻訳者上田惇生氏のフィルターがかかっていること、もしドラは「マネジメント【エッセンシャル版】」を読んだ女子高校生が主人公であり、上田氏がエッセンスをまとめた本をベースに書かれていることなどが前提として書かれています。
そして、論語と照らし合わせながら、上田氏の翻訳との違いに言及しています。
ドラッカーの「マネジメント」で頻繁に引用されている「たしかに、販売とマーケティングはとは、対義語であり、同義語ではばかりか、補完関係にさえない。いかなる場合でも、何らかの販売が必要であると考えて構わない。しかし、マーケティングの目的は、販売を無用にすることである」という箇所にも言及していて、
「ドラッカーの言う「Only marketing」とは、社会で何が求められ、社会のなかで自分たちが何ができるのかを知るという行為なのだ」
と言っています。
「マーケティングとは己を知ること」という解釈の方が確かかにしっくりきます。
この5冊をじっくり読み比べてみるのは面白いと思います。
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