宮本常一氏の「忘れられた日本人」を読みました。
今まで紹介した本とは全然違って、民俗学の本です。最近お会いした方の2人から、この本の話が出たので、読んでみました。
お二方とも、最初の章の”対馬にて”の”寄りあい”についてでした。
抜粋してみると、
この寄りあい方式は近頃はじまったものではない。村の申し合せ記録の古いものは二百年近いまえのものもある。それはのこっているものだけれどもそれ以前からも寄りあいはあったはずである。七十をこした老人の話ではその老人の子供の頃もやはりいまと同じようになされていたという。ただちがうところは、昔は腹がへったら家にたべにかえるというのではなく、家から誰かが弁当をもって来たものだそうで、それをたべて話をつづけ、夜になって話がきれないとその場へ寝る者もあり、おきて話して夜を明かす者もあり、結論がでるまでそれがつづいたそうである。といっても三日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。
今の会社では、話もそこそこに、会議中では決まらず、後はメールでというのが多いではないでしょうか?だからコミットできない。話し合うことは、時間がかかりそうですが、じつは一番の近道ではないでしょうか。
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