大村はな先生の「教えるということ」を読みました。
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昭和48年に発売された大ベストセラーです。
学校の先生の著者が学校の先生向けに講演した内容を収録した本です。
先生・教師のところを、上司だったり、ソリシターにして、生徒・子どものところを部下や代理店にして読むと、身が引き締まります。
「私はまた、「研究」をしない先生は、「先生」ではないと思います。(中略)なぜ、研究をしない
先生をは「先生」と思わないかと申しますと、子どもというのは、「身の程知らずに伸びたい人」のことだと思うからです。(中略)研究をしている先生はその子供たちと同じ世界にいるのです。研究をせず、子どもと同じ世界にいない先生は、まず「先生」としては失格だと思います」
「子どもは「文章は書くもんだ」と心得ておりますから、先生がかりに来てくれなくたってうらみはしません。それどころか書けない自分が悪いと思っているでしょう。かわいそうですね。(中略)だのに書く時には黙って書かせてしまって、それから集めて「これは下手だ、これは上手だ。」と言う。検査官になったわけです。指導者ではなく、批評家、こわい先生だと思います。でも、批評家ではないんです。私たちは。」
「教師は専門家ですから、やっぱり生徒に力をつけなければだめです、ほんとうの意味で・・・。」
「人に世話をやかれず、教室にはいつも自分一人、相手は自分よりも年の小さい弱い人ばっかりというぐあいで、しかも子どもがどんなに喜んだような顔をしていても、それに惑わされず、ほんとうによい仕事をしているかどうか、きびしく自己規制ができる人、それが先生です。」
「私たちは生徒に何も求めるべきでないと思います。」
深く反省。
是非読んでほしい1冊です。
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