デヴィッド・グレーバーの「ブルシット・ジョブ ークソどうでもいい仕事の理論-」を読みました。
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タイトルに惹かれて買いました。
惹かれた理由は、私の周りでどんどんこの本のような状況がひどくなってきていたからです。
そもそも船の漕手の数に比べ、船頭の割合の多い会社ではあるのですが(悲)、最近、クソどうでもいい報告書が次々に作成されました(クソどうでもいいエクセルシートを作成る仕事の人が増えました)。
あまりに数が多く、完璧に入力されていない事が多く、入力がされてるか確認するというクソどうでもいい仕事をする役割の人が増えました。
営業を管理事務に変更したため、更に業績が悪化し、さらにクソどうでもいい報告書が作成される事態です。
書きながら笑ってしまいました。
閑話休題。
ブルシット・ジョブとは著者の造語です。
冒頭、ブルシット・ジョブとは、暫定的定義として、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある雇用の形態としています。
次に定義してるのは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある雇用の形態であるが、とはいえ、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。
最終的には、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている、としています。
ブルシット・ジョブは公務員や日本の大企業だけのものかと思いきや、世界中に溢れてるようです。
日本の生命保険業界では、事務センターを作って、営業と事務を切り離し、営業の効率化を図ることが主流となっています。が、片方では事務センターでのブルシット・ジョブが生まれています。
意味のある仕事が増えますように。